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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

一方通行

一方通行

例えば心理や思考の言語表現。実際の自分の心理や思考が一瞬で行われるのに,言語表現はそれに比較すると随分と読むのに時間がかかる。実物にかかる時間と,表現を読むのにかかる時間に乖離のあるときに,自分は文章がよくわからないと思うことがある(のかもしれない)。

小説の緻密な描写。人間の服装や表情,外界からの状況を見て行われた判断が,言葉を尽くして説明される。 自分が一目一瞬で判断することが,1ページにも渡って書いてあると,自分は疲れ,「この本は本題に入らない」と読むのをやめてしまう。

ツッコミどころの多いと想像される文章。ざっと読む。じっくり読んだなら絶望してしまう。すると少しだけ言わんとすることがわかる。

筆者が言いたいことは1つだけであるのだが,その1つを説明するのに,丁寧に段階を踏む文章。ざっと読む。きっと筆者は,まず1つのことが言いたいと思い,次に大まかな構成を思い浮かべて,その次にようやく具体的な文章を書き始めて,少しずつ補強していったのだろう。自分も同じ思考を辿る。

 

自分は言いたいことを言う。書く。けれど聞いてもよく分からない。読んでもよく分からない。

所在なさ

所在なさ

僕のやることはどれも同じテーブルの上に並べられている。

家事に,課題に,予定や計画に,人付き合いに。

それぞれは内部に構造を持っていなくて,

僕はどこにも入り込むことができない。

僕は1つに手をつけてはまた次へと,

テーブルの上をぴょんぴょんと飛び跳ねていく。

まるで古代希臘の哲学書の一説に僕の

「本性は運動にでもある」

などとでも書いてあるのか,

僕は動き回ってそれぞれを触れ,撫でるだけ。

摩擦のない世界で初速度を与えられた僕は,

1つに弾性的に衝突すると反射して,

速さを保ったまま,また別の1つにぶつかる。

それを繰り返して僕はテーブルの上を静止することなくジグザグの描写を続ける。

「理解」について(暫定)

 これから「理解」について記すことは,少なくとも現段階で科学的ではない。あくまで生活の中で自分自身についての内省から得た気づきを言語化したものである。また仮に,「理解」の科学的な理解を試みたいにしても,どの物質あるいはどの身体(主に脳(神経))部位に着目し,それらの振る舞いをいかに定量的に記述するのが適切であるかも自分には分からない。さらには,自分の言葉遣いというのは,どうやら他者と意思疎通を図るには,少しずつ「ずれて」きていたようでもある。

 そういうわけで,以下のことがらを記すのが怖いわけだけれども,それでも自分は以下のことについて書きたいと思う。その理由の1つは「それについて考え,述べるときに自分は幾らかの満足を得るから」というものである。また別の理由は「どうも自分には人生の希望も見えないし,なんとなく先も長くないように思うから,自分の収集した貴石を陳列・保管したい」というものである。それから最後に「これらについて考えることは好きだけれども,一方でこれらについて考えることは『くだらないこと』であるという気持ちもある」という事情もある。後から思い出せるようにこれらについて記録し,保存を可能にしたなら,別のことがらについて考えることが許されると思うのだ。

 

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