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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

映画「レヴェナント 蘇りし者」

映画

「レヴェナント 蘇りし者

 原題:The Revenant

 2015年,アメリカ

 156分

 監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ Alejandro González Iñárritu

 主演:レオナルド・ディカプリオ Leonardo DiCaprio

 共演:トム・ハーディ Tom Hardy

    ドーナル・グリーソン Domhnall Gleeson ほか

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全編のあらすじ

 設定,動機づけ

  19世紀前半,アメリカ中北部,現在のサウスダコタ

 主人公は(おそらく私企業の*1)毛皮を目的とした狩猟部隊の案内人である。主人公は,ネイティブアメリカンの女性との間に生まれた息子(10代後半に見える)を伴っている。主人公の息子の母親は故人だが,その理由は軍が母親の属する部族(部族Aとする)の村を襲撃したためらしい。主人公はその「襲撃」のさい,彼女を殺した軍人を殺している。劇中,彼女の幻影が表れたり,「襲撃」に関連した光景(これも幻想的で,主人公の経験事実そのものであるかは定かでない)のフラッシュバック的回想が 挿入されたりする。

 

 さて主人公が案内する狩猟部隊は,野営中にネイティブアメリカンの部族(部族Bとする)に襲撃され,船に乗って川から逃げ,カイオワ砦を目指す。隊員の過半数が死に,多くの毛皮を失う。

 部族Bの酋長は,白人に掠奪された娘を探しているらしい。部族Bは,フランス人の一団(目的は読み取っていない)と交易を結んでいる。

 

 熊,瀕死,息子の殺害,置き去り

 主人公の案内する部隊は,主人公の提案で船を捨て,陸路を取って森へ分け入る。川は部族Bのテリトリーであり危険だからだ。その際,ある罠師の男は毛皮を失ったことや陸路だと遠回りになることに起因する苛立ちと,過去にネイティブアメリカンのある部族に頭の皮を一部剥がれた恨みから,ネイティブアメリカンの血を引く息子を持つ主人公をなじる。ここで,主人公と罠師との間に因縁が形成する。

 朝に見回りに出た主人公は,熊の襲撃を受ける。熊は隊員たちによって撃退されるが,主人公は瀕死であり,主人公の運搬は隊の足手まといになる。そこで隊長は報奨金を出して主人公の死を看取るためにその場に一時的に留まって後から隊に追いつく人手を募り,罠師が応募する。また主人公の息子と,別の隊員も残る。が,罠師はいち早く隊に合流するため(それだけか?),主人公を殺そうとし,それを止めようとした息子を殺す。主人公は瀕死のまま土をかけられ墓穴に残される。

 部隊は陸路でカイオワ砦に辿り着き,後から罠師も合流する。罠師は主人公を看取ったとして報償を受け取る。

 

 復活,追跡

 瀕死の主人公は穴から這い出し(revenant),罠師への復讐のため追跡を開始する。追跡の道のりには,部族Bによる襲撃の危険性が伴う。主人公は破られた喉を火薬で塞ぎ,草木・鳥の死骸・生魚・バイソンの生き胆を喰らい,死んだ馬の内臓を取り出して腹の中で暖をとりながら眠る(朝に馬の腹から現れる主人公から,私は帝王切開で取り出される赤子を連想し,revenantと結びつけた)。

 狩りをする体力のない主人公にバイソンの肝を与えたのは,おそらく部族Aの,男である。男は復讐を目指す主人公に「自分も近い人間を殺されたが,復讐は天に任せる」と告げる。男は即席の風よけを作り皮膚が壊死しかけた主人公の治癒を行って去るのだが,カトリック教会の目前で死んだ息子と邂逅する夢から主人公が目覚めると,男はフランス人の一団によって殺され,晒されていた。そしてフランス人の一団こそが,部族Bの酋長の娘を掠奪していた。主人公は男への弔いのためか,白人に犯される娘に自身の息子の母親を仮託してか,娘を逃し,フランス人の馬を奪う。

 そこに部族Bが現れ,主人公は追われ,馬ごと崖から落ちる。主人公は馬の中で眠る。目覚めると,徒にてカイオワ砦を目指す。

 

 復讐

 部族Bは酋長の娘を確保し,娘をさらったフランス人の一団を襲撃した。生き延びた1人のフランス人はカイオワ砦に辿り着き,フランス人の一団に主人公が接触したことを,狩猟部隊へ告げる。このことによって,罠師が看取ったはずの主人公が生きていたことが判明するが,嘘をついた罠師は逃亡していた。狩猟部隊が捜索隊を組み森へ分け入ると,松明に照らされたのは,主人公の姿であった。

 砦へ帰還後一息ついたのち主人公と隊長とは罠師を探すため山へ入り二手に分かれるが,隊長は罠師に殺される。主人公と罠師とが遭遇し,殺し合いが始まるが,主人公の勝利がほぼ確定したところで,主人公は,自らを助けた部族Aらしき男に告げられた「復讐は天に任せる」を思い出し,罠師を川に流す。罠師が流れた対岸には部族Bの一団がおり,罠師を殺す。一団は川を渡るが,主人公には触れず,通り過ぎる。

 最後,主人公の顔が何かを訴えかけるようにカメラを見つめる。

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気づき

2016.04.24 TOHOシネマズ日本橋にて

 

  1. 曖昧な境界線:イニャリトゥ監督の傾向とテーマ①。「バベル」において描かれたのは,異なる場所と時間において並行する複数のストーリーである。複数のストーリーは互いに因果的結びつきを持っているが,微妙に,細部の整合性が取られていない。例えば,ストーリーAでは生きている主人公がストーリーBにおいては死んだことが,ストーリーBの登場人物の眺めるTVニュースでさりげなく示される。ただしストーリーBという物語の顛末にとって,ストーリーAの主人公の顛末は「大した影響はない」。このように「バベル」では,同一人物であってもストーリーによって異なる結末を迎えている。ただしそれはさりげなく,であり,あるストーリーの主人公(たち)にとって,別のストーリーの主人公(たち)の結末は大きな影響はない。各々のストーリーの主役たちの経験と,メディアの報道とは異なるけれども,しかし「どちらが事実か」については作中での断定はなく,曖昧である。また「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」においてはあたかも全編が1つの長回しによって撮影されたかのような編集方法が用いられ,カメラはショーの世界の人物たちに張り付き,「舞台」と「舞台裏」との境界線を曖昧にして両者を滑らかに繋ぐ。またSNSによって同様に「非日常」と「日常」との境界線は曖昧に描かれる。本作「レヴェナント」では曖昧さを前面に押し出した表現はなかったが,幻影や幻想的光景の挿入される場面は,冒頭やラストを含めて複数回ある。
  2. 生死,父子について:イニャリトゥ監督の傾向とテーマ②。「21g」においては「魂の重さ」とされる質量をタイトルに据えている。また「ビューティフル」の主人公の特性とは死者を視て交信することである。本作「レヴェナント」のタイトルもrevenantすなわち「亡霊」「(死から)帰ってきたもの」であり,生に対する主人公の執着が表現される。また「レヴェナント」における主人公の復讐の動機は息子が殺されたことへの復讐であるが,「21g」「バベル」「ビューティフル」「バードマン」のいずれにおいても家族関係,特に父子関係が描かれる。死生観と父子関係という2つのテーマは,イニャリトゥにとっては個人的に意味があるのかもしれない。
  3. 痛み,グロテスク,自然について。作中,熊による主人公襲撃シーンに割かれる時間は短くはなく,有無を言わせぬ物理的力によってもたらされる混乱が描写される。主人公の体の傷も,はっきりと観客の目のつくように何度も示される。また自然の中での主人公の原始的な「食事」も描かれ,主人公いやディカプリオは,確かに生の川魚にかぶりつくし,バイソンの肝を喰らってむせている。バイソンはもちろん馬も,内臓がどっぶりと観客に提示される。分業化の進行したいわゆるdeveloped countoriesに生活している人間の多くが経験しない原始的な痛みや苦しさ,グロテスクを,映画館という半密室で「レヴェナント」は観客に見せる。(照明として自然光のみを用いることにこだわって写される)自然は,生命を維持するには過酷ではあるけれども,人間に視覚的な恩恵をもたらす。「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことを前提として生活する人間にとって生命とは獲得されるものではなく維持し永らえさせるものかもしれないが,「レヴェナント」において描かれるのは積極的に生命を獲得せんとする人間である。
  4. 規範,法,復讐。物語の舞台を含む領域が「サウスダコタ州」とされたのは1889年であるという*2。それ以前は「ダコタ準州」の南半分であり,その準州(入植者の自治的領域)ができたのも1861年と,物語よりも後のことである*3。この物語に登場する狩猟部隊は,確かに組織であり規律が存在するが,この物語に登場する人間の規範意識は,行政区分のもとで揺り籠から墓場までを生きる人間が多いdeveloped countoriesの人間とは異なるであろうと思う。登場人物たちの規範は政治によって形成されたものではないであろうと思う。政治・法のもとで「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことの保証が前提となっていない登場人物たちにとっての行動規範はまず「生きること」であって,法やルールという規範意識は薄い。特に罠師おいて顕著であり,狩猟部隊の規範を越境する(そのことを,状況の異なる現代人の視点から責めることはナンセンスであるように思う)。息子を殺された主人公の,罠師に対する私刑も,法的秩序意識の形成が進んでいないこの物語の場所・時代であれば許容されそうにも思う(このとき主人公が罠師を痛めようとするのは,法的な正義という動機からではなくて,純粋な復讐であるように思う)。どのみち罠師が捕まったならば,隊規に反して主人公を置き去りにし,かつその事実を隠匿したかどで死刑だったのだから(裁判と刑の執行の手続きも非常に迅速らしい)。しかし主人公は罠師を殺さずに「天に任せる」。developed countoriesにおいては人間は自然を制御しコントロールしているかのように思え,また政治や法とは人間のルールであるが,この物語においては自然の中での人間の領分は非常に小さい。主人公が「天に任せる」のは,物理法則が人間に有無を言わせない自然の中で,法や倫理といった人間の道理によって人間を裁断することはせずに,より大きな法則を考慮したということなのではないだろうかと解釈する。物理法則という大きなルールの範囲内に人間の法や倫理を収めるとき,法や倫理という枠組みの内部においてのみ人間が活動し得るのは確実に生命が維持されるという前提条件のもとでなのだが,その前提条件が外れたとき,主人公は法や倫理という枠組みを越境してより大きなものを考慮した,のではないだろうか。ネイティブアメリカンは「より大きなもの」の象徴であるようにも思う。
  5. 因果応報。自分たちの部族に属する娘を解放した主人公の命を「より大きなもの」を象徴する者たちは,取らない。このことを,法や倫理という人間の規範を超越したものが因果応報を実行することの表現として,私は受け取る。

 

*1:物語中に登場するFort Kiowa(カイオワ砦)について調べた結果,この砦の建設・利用において主だっていたのは公的機関ではなく企業であったらしいため。Wikipedia"Fort Kiowa" https://en.wikipedia.org/wiki/Fort_Kiowa

*2:Wikipediaサウスダコタ州https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%80%E3%82%B3%E3%82%BF%E5%B7%9E

*3:Wikipadia「ダコタ準州https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B3%E3%82%BF%E6%BA%96%E5%B7%9E