映画「ベニスに死す」

ベニスに死す 

原題:Death in Venice

 

1971年 イタリア,フランス(言語:英語)

131分

監督:ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti

主演:ダーク・ボガード Dirk Bogarde

共演:ビョルン・アンドレセン Björn Andrésen ほか

 

  • 本映画の原作は,トーマス・マン作の同名小説である。
  • 主人公のファーストネームは「グスタフ」で作曲家・指揮者である。これは劇中でその交響曲第3・5番を使用されたマーラーに等しい。主人公が娘を亡くしているらしい設定もマーラーに同じ。    


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全編のあらすじ

 

 1911年(原作に同じらしい)。作曲家アッシェンバッハ(以下,A)は療養のためヴェニスを訪れる。全編を通じ断片的に挿入されるAの回想から,娘の死,直近の演奏会の大不評,親しい友人によるAの芸術思想への厳しい批判の存在が見て取れる。

 

 Aは宿泊先のホテルにてある家族客の中の少年タージオ(以下,T)に惹かれる。

 

 Aはヴェニスの暑さが体調に悪いと帰国しようとするが,荷物の返送ミスがあり汽車の発車時刻に間に合わずホテルに戻る。しかしAは嬉しそうである。なぜならTを目にかけることができるから,か?

 

 イタリア国外紙によるとヴェニスには伝染病コレラが接近しているらしく,Aはそのことを周囲に尋ねるが観光業によって生計を立てる市民はそのことを外部の人間に公にしようとしない。ようやく1人から伝染病の詳細について聞き出したAは注意を促す口実でTとその家族に接触することを想像し,着飾るが,体調の悪化ゆえかコレラへの感染ゆえか砂浜でTを遠目に死んだ(タイトルから判断するに)。

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気づき

 

  1. 美のあり方についての立場の対比。Aが「美は実社会にはなく,努力によって獲得可能であり,英知や人間の尊厳の表現である」という思想を抱いているとしてAの友人は批判し言う:「美は先天的なものであり,また堕落によっても獲得されうる」。映画冒頭に描写されるのは,Aが,いわゆる庶民,俗物,大衆を嫌っているらしいことであり,Aが好むのは,品があってよく教育された人間であるらしい。Aが好むTとその家族はwell-educated,上品であり,規律に則っている。ここには貴族の出身でもあるヴィスコンティ自身が投影されているかも知れず,AがTへと引かれる点においてもヘルムート・バーガーら俳優のパトロンであったヴィスコンティに共通する。
  2. 死,先天的な美の優位。Aは最後に死ぬ。Tへ「近づこう」とし,着飾るが,暑さで化粧は崩れて額を伝う。即席で身なりを繕ったAの死とはすなわち「つくりもの」の美の崩壊でもあり,飛躍して,後天的に目指される美の不完全性の象徴でもあり得る。対して先天的で完全な美の象徴でもあるTは,Aから遠く水辺に陽を背負う。AがTに空間的に近づこうとしヴェニスの街を彷徨することは同時にAの美への志向の象徴でもあるが,結局叶わない。
  3. 笑い。Aは笑わない。ホテルを訪れた喜劇的な楽団に笑を促されても笑わない。主人公にとって笑うことは品がないこと,すなわち美しくないこと。しかしTを追ってヴェニスの街をさまよった挙句具合を悪くして倒れたさい,主人公はついに笑う。その笑いは自嘲的で,「美へと到達しえない」ことを自覚した己に向けられたものであるように思う。
  4. 物語とその象徴するところとを言語化してしまえば本作はあまり時間を要しないように思うが,しかし131分間が確保されているのは言語ではなく視覚と聴覚による表現がなされているからであって,本作においては会話なしに人間を写したカットが多く見られるように思う。その点について自分は好意的な感情を抱いている。