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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

映画「her/世界でひとつの彼女」

映画

her/世界でひとつの彼女 

原題:her*1

                                                    f:id:barrynoether:20160929063702j:plain

2013年 アメリカ(言語:英語)

126分

監督:スパイク・ジョーンズ Spike Jonze

主演:ホアキン・フェニックス Juaquin Phoenix

共演:スカーレット・ヨハンソン Scarlett Johanson

           エイミー・アダムス Amy Adams      

           ルーニー・マーラ Roony Mara ほか

 簡単にまとめてしまうと「(特に別居中の妻に対し)自分の感情を整理・表現しきれないという課題を持つ代筆業の男性が,声だけの人工知能との恋愛を経験して課題を克服する過程を描きつつ,『恋愛において人間が何を愛しているのか』を考えさせるきっかけも与える映画」だろうか?

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 この作品中において,暖色のフィルターがかかった映像やピアノの軽やかなメロディが中心の音楽は観客に対して一切の嫌悪感を抱かせないものとして作られてる。いわゆる下ネタやジョークも下品なものというよりはウィット的でさりげないものとして挿入されているように思う。

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 この物語の主人公*2には課題がある。「気配りができウィットに富む一方で,他者感情を自己感情よりも優先しがち*3あり,自己表現がうまくできない」という意味で「リアルな感情を持てない」というものだ。この主人公の課題を象徴するのが,他者感情の表現を行う「代筆」という仕事だ。

 いま私は主人公の課題を抽象的に表現したが,本作で中心的に扱われる課題を具体的に表現すると「離婚中の妻に対し,自分自身の感情について説明すること」となる。他者感情を優先し自己感情の表現に消極的な(=代筆ばかりしている)主人公が,(元)妻*4に対してメールを送り自己表現を行う(=代筆ではない,自分自身についての手紙を送る)ことが,具体的な課題の克服であり同時に一般的な課題克服の象徴でもある。

 

 この物語は主人公が上記の課題に直面し,克服する物語だ。そして克服のきっかけを与えるのが,人工知能*5との恋愛である。この人工知能iPhoneのSiriのようなもので,ワイヤレスイヤホンを通じ,人間とほとんど音声のみでコミュニケーションを取る。 

 脚本家は主人公のコミュニケーション上の課題として先述のものを設定し,課題克服のきっかけとして人工知能との恋愛を導入した。脚本家はこの映像作品に説得力を与え観客にとって納得のいく説明を行うために,特に以下の疑問に回答する必要がある。

疑問① 人工知能との恋愛が,なぜどのように主人公の課題を解決し得るのか?

疑問② 主人公あるいは人間一般と人工知能との関係がいかにして恋愛に発展するのか?

疑問③ 人間と人工知能との恋愛とはどのようなものか?


 疑問②に対しての回答として特に以下の3点を挙げる。

・主人公は孤独や落ち込みから恋愛を始めやすい心理状態にあったこと

・職業や性格を考慮すると主人公は言語的コミュニケーションを好むらしいこと

・本作の人工知能は言語的な音声言語によるコミュニケーションの能力が高いこと

 

 人間と人工知能との「恋愛」に対して違和感や嫌悪感を抱く人間は存在するかもしれない。しかし言語能力が人間と同等(むしろ人間を超えるか?)な本作の人工知能との恋愛は「肉体を持たず,視覚や触覚によっては人間として捉えることができない」という点を除いては,人間との恋愛と同等である。例えば,言語能力が人間と同等以上の本作の人工知能とのテレホンセックスは,人間とのテレホンセックスと同等である。

 このように考えるとスマートフォンを通じた人工知能との恋愛は「視覚や触覚によっては行うことができない」という点を除いては人間との恋愛と同じであり得る。すると疑問③は解消されるかもしれない(行動・振る舞いによって映像表現可能である)。

 この「部分的に人間と同等な,人工知能との恋愛が可能である」ということは,人間同士の恋愛が発生し継続するための条件や要素を抽出,あるいは限界の提示を行うかもしれない。

 また生物的肉体を持たない人工知能に人間が恋愛感情を抱くことは,この場合恋愛の対象が身体ではなく人格なのではないかということを示唆するかもしれない。つまり視覚や触覚によっては知覚できなくとも,人格の存在を想定できたなら,恋愛が可能な場合があるということだ。そして,視覚や触覚抜きに想定・構築された人格は,視覚や触覚抜きに完結した人格である。このことが描写されるのは,主人公が人工知能の提案を受けて「OSのための代理セックスサービス」を利用し,人工知能の声で喋る生身の肉体を持った女性とセックスをしようとするが,その女性に向き合って「愛してる」と発言できなかった,という場面である。確かに,人工知能はもともと生身の肉体つまり容姿を持っていないし,ましてや主人公は人工知能に触れたことはなく,従って人工知能と同じ声で喋る人物が現れたならそれは人工知能と同じ人間だと「錯覚」できそうかもしれない。しかし人工知能の人格を想定することによって恋愛が開始した以上は人工知能の人格は声から想定されるもので完結しており,ゆえに視覚や触覚の追加によってさらに人格を「完成」させる余地はないのだ。

 

 最後に,疑問①を解消するためには,映画の文脈に依存せず人工知能の特徴について考察すれば回答し得る疑問②③と異なり,この物語の文脈に依存した考察が必要である。しかしこの作業には困難を覚える。

 とりあえず注目したのは,主人公と同じく自分のOSと親しくしていた主人公の以前の彼女だった女性が,OSたちが「去った」あとで,主人公に肩を寄せるラストシーンである*6。ここで提示される人間どうしの身体的な触れ合いは,人間と同じ肉体を持たないため人間と同じ身体的接触のできない人工知能と対比される。身体的な接触のできないOSたちを失った孤独な人間たちは孤独を解消するために人間どうし向き合わざるを得ない。また人間の肉体は「リアル」の象徴である。こうして,主人公は元妻との関係という「リアル」に,自分自身の感情という「リアル」に向き合うのだ*7

 

 ところで,この作品に登場するOSにおいて,1つの人格に複数の「身体」が対応している。つまりOSの人格は1つだが,販売されて個々人が手元に所有する個機の数だけ,OSは「身体」を持つ。かつ,OSは1つの人格を持ちながらも,全ての身体からの情報を同時に処理が可能であり,また異なる場所にいる全ての所有者に対して平等に満足な量の情報を与えることができる。そのような意味で,人工知能は「異なる場所にいる多くの人間に対し,個人にとってじゅうぶんな量の愛を,同時に,平等に注ぐことができる」。

 一方で人間には「1つの人格が持つ身体は1つであり,1つの身体が1つの場所1つの時間で満足に情報のやり取りをすることの可能な身体は1つの身体である」という制約がある。人間において人格と身体とが1対1に対応していると考えるならば,人間の1つの人格が1つの場所1つの時刻に満足に愛することのできる人格は,1つだけだ。

 この,人間における人格と身体との1対1対応は(少なくとも主人公の場合)所有欲と結びつく。主人公は,多くの人間(600人を超える)を同時に平等に愛することができるOSに対して失望する*8。恋愛の相手の所有する1つの人格が自分の人格のみを愛することを求める主人公は,人工知能ではなく,人間に向き合う。

 

 ここで注意しておきたいのは,この文章における「リアル」というキーワードの使い方である。人間は肉体を持っているという意味で「リアル」であり,人工知能は肉体を持っていないという意味で「リアルでない」かもしれない。しかし主人公が人工知能に対して抱く愛情や,主人公の感じる人工知能が抱く主人公への愛情は「リアル」なのだ。

 主人公が知覚する人工知能の声は人間と全く同じである。「自分が今話しているのは人工知能である」という知識がなければ,人間は人工知能と人間とを区別不可能なのだ(という区別の不可能性が生じる程度に,今作において人工知能の能力が高く設定されている)。観測される試料からは話し相手が人工知能なのか人間なのかの区別は不可能であって,ゆえに人工知能への愛情,人工知能から感じる愛情と,人間に対する愛情との区別が不可能という意味で「リアル」なのだ。

 このように本文中において私は「リアル」という単語にほとんど相反する2つの意味を持たせている。

 

 

*1:このタイトルの由来は何であろうか?邦題の副題の由来は,物語の終盤で主人公がサマンサに対して失望した理由を考慮すれば,納得しやすい(副題として物語のその要素のみを取り出すことの是非はともかく)。しかし原題の由来は私にとって謎である。

*2:演ずるはJoaquin Phoenixである。Joaquinは演技の幅が広い。P.T.アンダーソン監督の「ザ・マスター」「インヒアレント・ヴァイス」ではアルコールやマリワナに溺れ振る舞いが行き当たりばったりで見た目から粗野粗暴な社会のはぐれ者を演じる。一方,本作「her」では繊細で他者への配慮ができるがそれ故に悩む,いかにも先進国で都市生活を送っていそうな人物を演じる。人柄の一端が現れる顔の表情が,先述の2作品と本作では全く異なる。

*3:ただ主人公がこうして「殻にこもる」のは1つの保身や自己防衛,予防線であることもあるらしく,他者の感情の尊重が必ずしも純粋に他者自身のためであるとは限らない。それが現れるのは,デートの相手との会話が盛り上がって自分自身をドラゴンにたとえ「君に襲いかかる」旨を述べるが直後に「しないけどね」と冗談であることを注意する場面ではないだろうか?場の雰囲気から判断して,その注意がなくとも相手は不快感を覚えないだろうけれども,万が一不快感を与えることによって相手から何かしらの反応があり自分自身が傷つくことを恐れてか主人公はそう言った予防線を張らずにはいられない。

*4:演ずるのはRoony Mara(ルーニー・マーラ)であって,痩せ型の彼女は「ヒステリックを起こす女性」というステレオタイプのイメージを喚起しやすいのか,イライラしがちな妻の役柄に合う

*5:この作品で人工知能が人間と恋愛可能であることを示すうえで必要な設定が「人工知能の人間らしさ」である。人間らしさの描写のため,Scarlett Johansonが声のみで演ずる人工知能には作曲や作画の能力や,下ネタを含む臨機応変・即応的なウィットの能力が与えられている。そしてもう1つ,Johansonの少しハスキーがかった声はまったく機械音声らしさを持たずに人工知能の「人間らしさ」にアクセントを加えている。このような印象を私に生ぜしめるキャスティングを製作者は意図して行ったのかどうかは知らない。

*6:この「肩寄せ」に恋愛的な意味合いは無いだろう。というのも主人公は深く愛したOSを失ったばかりであり他の「人格」と恋愛を始めるには早すぎる。元彼女のほうはこの場面で寂しさを感じてはいるかもしれないがその寂しさは恋愛の喪失感ではなく友人を失った喪失感であり,友人の希求が恋人の希求に結びつくのは早い(ただし元彼女のほうは夫と離婚してから少し時間が立ているので恋愛への欲求はあったかもしれない)。主人公と元彼女とは恋愛関係にあったが,その設定は「2人が心理的抵抗なく触れ合うことができる」ために導入されたものであり,このラストシーンで活用されている。

*7:論理的・演繹的必然性に基づいた動機ではない。

*8:この場面が,邦題の副題である「世界でひとつの彼女」の由来だろう。