高校生的確信,老人的懐疑

 高校生的確信,老人的懐疑

 

自分に道理があることに嫌気がさし、成功疑いないことをやることや、法式の有効確実性に嫌気がさしたら、他を試みること*1

                       - ポール・ヴァレリー*2

 

 女子高生・男子高生の,特に集団を見ていると、人も,物も,世界を評価する基準をすべて手中に収めているかのような傲慢さが鼻につくのだけど、高校生の頃の自分も同じように傲慢だったと思う。 

 権力者的な老人の傍若無人さは「タヌキ」的で、つまり自分に都合の悪い視点を知らないふりしてとぼけている感を覚えるけれど、若さは自分の知っている限界いっぱいで評価しており,純粋さすら覚える。若さは自分の知っている評価基準を無視することはないし,自分の評価基準に確信を抱いている。

 

 私はそんな傲慢さが少し羨ましい。数学を通じて身につけたDescartes的な「吟味」の規範は,懐疑による確実さの獲得を習慣づけるように私の精神を指導した*3。懐疑の習慣が常に私を駆り立てるのは,ある法則や規範・規則や慣習の「なぜ」を問うことで,より否定し難い「大きな」法則や規範・規則や慣習を以って小さなものの確実さは保証されるかもしれないが,私は確信を以って何かを信じたり行動したりすることがなくなった。

 健康を維持する適切な範囲でものごとの基礎づけを行うことのできないあたりが私の「センスのなさ」かもしれない。

*1:出典不明

*2:この文筆家の仕事を私は一切知らないのだが,Twitterを眺めていたら目にした。私の解釈のもとで引用させてもらう。

*3:デカルトは『精神指導の規則』という本を執筆している。