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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

ミステリ,理解の説明,思索と生計

ミステリ,理解の説明,思索と生計

 

 TOHOシネマズみゆき座にて,「ガール・オン・ザ・トレイン」を観た。

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  三四郎池の紅葉を見たばかりだったのだが、オフィス街に植わった樹々の枝を飾るのは葉ではなく人工の電飾らしい。丸の内がクリスマスを迎える準備は既にできているようだ。 やはり自分にとっては、青や白のLED電球の明かり(コストが低いのだろう)や、電球が点描した拙いイラストよりも、ただ暖色が散りばめられているほうがよい。

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 ミステリ物語の結末を知ってしまったなら、二度とその物語を読み返そうとは思わないということがある。真相が覆い隠されてちらほらする途中部分への興味が損なわれるのだ。あたかも部屋の電灯を一度点けてしまったなら、もう消そうなどとは思わないかのように。

 これと同じことが、数学や物理学など自然科学の知識を理解するという体験についても言える。一度理解が訪れてしまうと、真実を覆い隠していた濃い霧がいったいなんだったのか、どのように我々の視界を遮っていたのか、分からなくなってしまうのだ。

 それについて理解していない人に対し、自分の理解を伝えることは難しい。何しろ、理解とは霧が晴れ暗闇が去って景色が見渡せるようになるまでの体験だというのに、よく景色が見えている人は霧を晴らすことを忘れて、目の前に広がるパノラマについて事細かに説明しようとしがちだからだ。
 理解を体験したら、すぐにその場で書き留めておくのがよい。理解の川をすっかり渡りきってしまう前に、まだ「分からない側の岸」に手の届くうちに、いかにして自分が荒波を越えながら「分かる側の岸」の景色が次第に大きくなってゆくさまを眺めたのかを書き留めるのだ。

 

 

 学問を、エセーの延長線上にあるものとして僕にやらせてくれたらいいのに*1

 しかしそれを許さない事情がある。すなわち「知識の売買は商売として成り立たない」ということだ。例えばあなたが誰かに「三平方の定理を考案したので,買ってください」と言ったとしよう。そうするとあなたは「その定理はどんな内容ですか」と聞くだろう。もしそこであなたがその定理について説明してしまったなら,定理は金にならない。しかし定理の内容の説明なしに,定理を買ってくれる人間は稀だろう。

 こういうわけで,知識の生産だけをしながら収入を得るには,一財産を持っているか,強力なパトロンが必要になる。パトロンについては,王室に仕えたアリストテレスデカルトオイラーなどがこれに相当する。

 あるいは,なんらかの職業に就きそちらで収入を得ながら,余暇で思索を行うことも考えられる。この場合,思索に使う時間は大幅に制限される。造幣局ではたらいたニュートン,法律家であったフェルマー,ガラス磨きをしたスピノザなどがこれに相当する。

 大多数の知識人はパトロンに召し抱えられながらも本業で収入を得るという中間的なやり方で知識を生産している。すなわち大学教授である。教授の収入は教職によって得られるが,教授の本分は知識生産の研究である。しかし純粋にパトロンに召し抱えられているよりも大幅な制限がある。というのも純粋なパトロンは,知識の目的やそれがどう応用されて役立つのかと言った事細かで厳密な説明を求めることはないが,教授は研究資金を得るために公機関や企業や国に対して建前上の説明を行わなければならないことがある*2。またむしろ,余暇の思索が全く人間関係とは無関係に個人的に行うことができるのに比べると厄介で,自由な思索を行いたいのに人間関係が入り込んできて邪魔になることがある。

 または,知識を売るのではなく本を売ることも考えられる。ただし促販には,業績か知名度・肩書きが必要である。

 役人や軍人なども知識を生産することがあるが,知識の生産は目的であるというよりもむしろ手段である場合が多い。

 思索と生活との両立は困難だ。

*1:英語なら,主語としてtheyを用いるところだ。

*2:「役立つ」ということについてはまた別の機会に書きたい。