読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

「話が合う」

配慮
話が合う

 

 昨晩、以前一緒に仕事をした人にお店を教えてもらって、夕食を共にした。 はるばる西のほうからやってきたハト(といっても、ポッポが飛んできたのは自力によってではなく、おそらく凍結した遺体としてなのだが)をナイフとフォークでつつきながら、共通の知り合いの恋愛の話になった。

 

「彼、デートしたけれど相手に満足できなかったみたいです」

「なんで?」

「彼に言わせれば『頭が悪いから』って」

「頭が悪いねぇ」

 

 我々の共通の知人であるところの彼が、相手のどんな言動を「頭が悪い」と表現するのかまでは聞いていなかったが、彼は相手のことを他に「話に脈絡がない」とか「(知的な面で)張り合ったり、上に立とうとする」とか表現していた。

 

「彼じゃないけど、私も他人の『頭が悪い』ところが嫌だと思うことはあるな」

「そうなんですか」

「『頭が悪い』というか、話の内容に気を遣わなきゃいけない。『この話をしたら引かれる』だとか『この話題は相手がついて来られないから避けよう』だとか」

 

 それは恋愛に限らず、一般的に他人と話題を共有するときについて回る悩みの話だった。

 

「僕はこう思うことがあります。『地元に戻って、小学校や中学校の同級生と会話が成立するかなあ』って」

「そうそう。新聞とかニュースとかの話題を会話に出したときの反応って、だいたい3通りあると思うんだけど」

 

彼女いわく、3通りとは次のようなものだ。

①「ああ、あの話題ね」と食いつく

②「ふーん」と興味関心がなさそうにする

③「あなたって頭がいいんだね!」と対応する

 

「興味関心は(強要のできない)個人特有のものだから構わないんだけど、この3番目がいやだねえ」

「誰かのことを、『デキ男』とか『デキ女』とか表現することにも、似たようなものを感じます」

「そうねえ」

 

 高校2年生ごろまでは毎年自分の参加していた親戚の集まり。今ではもう今後一切参加したくないと思う。自分があの場に加わったらどんな扱いを受けるか。「優秀で立派な人間」。あの人たちは僕の学歴を見て即座に、あの人たちが僕のような人間に対して持つイメージを僕にペタッとラベリングすることによって、僕への接し方を決めるだろう。そこに、僕が何を見聞きして何を考えるかへの興味はない。イメージや言葉を人間にペタッと貼り、それに応じた接し方・扱い方を決めることが、あの人たちにとっての「人間理解」なんだろう。

 などと考える僕もまた、親戚たちを自分のイメージに当てはめて想像し、「接しない」というかたちの接し方を決めているのだが。

 

 とはいえ他人に対してこういった「ラベリング」を行うことが全く不合理だというわけではないとも思う。誰かと会話しているときに、自分の知らない話題が出たとして、その話題についてゼロから理解するためにはエネルギーを消費するし、説明するほうも同様に疲れる。ましてや、事実の理解のみならず、その事実に対する他者の感情や思想まで理解しようとなると難しい。僕がEXILE TRIBEに興奮しお金を費やす人々の感情に同調できないのと一緒だし、また僕でない誰かの多くはこのような文章を書くことに執着する僕の内面を共有できない可能性も知っている。

 また会話は知的な成長だけを目的として行われるのではないだろう。一緒に笑ったり、自分の不満を知ってもらったり、そういったことを楽しみに会話する人もいるだろう。

  疲れる話題を避けつつ楽しむには、誰もが知っている短い話題を時間をかけずに話すのが「コスパ」がいいかも知れない。 そんな中で、自分の知らない話題を提供する人物に「頭がいい」とレッテルを貼ることは楽なのだ。あわよくば相手は誉められて気をよくするという副次的効果もある。

 

 けれど僕のような人間にとっての真の賞賛は、僕の語りを通じて、まさに僕と同じ世界を経験してもらうことなのだ。だから「すごい」といった言葉で僕が片付けられることは、僕にとっては、あたかも僕がこれから旅の案内をしようと開いた扉を、相手にピシャっと閉められることに等しい。「行ってらっしゃい。わたしはここに残るけれど」