Dr.Strange

Dr.Strange

 

 「ドクター・ストレンジ」を鑑賞してきました。セリフに洒落が効いていて,フラクタル図形の使用など視覚的・映像的な楽しさもあります。光の反射・屈折など物理法則を表現するのにCG班時間が使われたであろうと想像されます。

 

 主人公がチベットで修行して師匠に弟子入りするという設定は「バットマン・ビギンズ」を思い出させます*1。また街や建物がひっくり返ったりぐねったりするシーンや,重力の方向が変わる状況での戦闘シーンは「インセプション」を思い出させます。ただし「ドクター・ストレンジ」がノーラン作品と異なる点は,説明が短いということです。ノーランは主人公がバットマンに至る動機や,彼が自分のスーツや道具を使用する動機や,入手・製作する方法を事細かに説明しリアリティを追求せざるを得ない質でした。彼が極端にリアリズムを追求するせいで,私はバットマンや「ザ・バット」が飛んだり,ジョーカーの資金と仲間集め・犯罪計画と組織としての実行のあまりの華麗さといった,リアルとは言い難い「例外」を目にすると,違和感を覚えるのです。それと中だるみもし,観客が退屈する。

 私見ですが「どうせ(経験的に)あり得ない(と推論される)こと」を描くなら、下手に最もらしい説明を細部まで理由づけるスタイルを観客に「手抜きを」について観客、とにかくあり得ないことをあり得ないなりに描ききってしまうのも1つの手だと思いました。そのような発想から来るのかどうか知りませんが,本作にはスピード感がありました。ただし売れ線の映画を製作するさい,映画館の回転率と観客の退屈を避けるため映画会社が2時間以内に収めようと説明をカットしアクションを増やすように要求するので,その影響もあったかと思います(本作本編の上映時間は115分間でした)。

 

 若干アクションが見づらく、何が起こっているのか分からない場面もあります。たぶんこれはCG技術の問題。

 主人公の師匠の「凄さ」の描写不足と,ラスボスの何者感があります。先ほど「説明の省略は墓穴を掘ることを避ける1つの手段」である旨を述べましたが,それにしても用語の説明は不足していました(この辺は原作を読めということでしょうか)。主人公に魔術の才能があるらしいとか,いつのまにか彼がいくらか強い魔術師になっていたことにも説明不足という感じがありますが,観客は強い主人公が派手に戦うところが見たいでしょう。

 

 脚本に注目すると、登場した人物や道具、設定を無駄がないどころかできる限りたくさん利用しようとする意図は見てとれました(上手いかどうかは別として)。特に時計というキーグッズと,敵の行動原理と,主人公が解決策として使った魔術との関連です。と言っても空間や時間といった言葉はこの作品において,何かよく分からないけれど深遠な感覚をもたらすものとして使用されているのみで,よく分からないものをよく理解しようとする素ぶりはありませんでしたが(強いて言えばこの点もノーランの,特に「インターステラー」との違いでしょうか)。

 

 マーベルは(ダークナイト3部作よりあとの)DCに比べて映画で批評的・興行的にも成功していますが,その一因は多種多様なヒーローを個別の作品で扱い,同時に「アベンジャーズ」などでクロスオーバーさせるという手法をとっていることにあります。個々のヒーローの持つ魅力を個別に描くことの継続,クロスオーバー作品でヒーローが「安売り」される,つまりひとりあたりの出演時間が短い点を補完することに役立ちそうです。

*1:ただしこの設定は原作からでしょうから,「バットマン・ビギンズ」に影響を受けたわけではないと思います。それにチベットというよく分からない場所で修行をするというのは,思いつきやすい設定です。