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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

この数日のこと

家庭 知的態度 進路 人生

 

この数日のこと

 

父親の学歴主義のもと末の妹は実力不相応な高校を受けさせられて不合格だったうえ、浪人が決定した。

僕の地元の高校に合格するのに必要な知識に、15-16歳という「同年齢であるかどうか」によって文化や人間関係における親密度の大きく異なってくる年齢の少女が同年齢の人たちから1年遅れてまで突き詰めるほどの価値を、自分は置かない。

たとえば父親は「1年浪人してもあとあと東大に合格していいところで働き金持ちのオトコに貰われれば大局的にOK」と考えているかも知れないけれど、あの地元で浪人したことによって得る劣等感・後ろめたさや父親の独善に対する憤りが、現在と将来に対してどれほどの影響をもたらすだろうか。

 

父親は自分の指示に従わない人間を暴力と暴言で押さえつける。

自分の指示に従うことによってもたらされる利益について説明しようとはしない。

「黙って従え」というのだ。

子供は父親という「出資者」の金で生きている以上,金の使い道は父親が指定するのだという。

彼は1度「もし不満があるならば出資者を説得してみろ」と言ったことがある。

しかしこれまで誰が父親に対して反論しても,そもそも父親は聞かないし,聞いたとしても誰にもわからない理由づけを以って反論しかえし,相手が自分の主張に納得したかどうかを確認することはない。

自分の理想が正しいこと,自分の指示に周囲の人間が従うこと,は前提であって,くつがえされることはない。

周囲の人間の主張に対する彼の反応は「お前は常識がない」「お前は頭が悪い」である。

 

彼は自分の理想を周囲の人間が実行することが周囲の人間にとっての「幸せ」であると考えている。

父親の言うような「小中高で学年1位,東大入学,官僚となって国家運営に携わり美人の嫁をもらい,子供にも勉強をさせ子供にも自分と同じ道を歩ませ”幸せ”にしてやる」という典型的な日本昭和の学歴主義・家父長制的発想で幸せを感じる人もいるかもしれない。

しかし父親の見落としは3点ある。

第1に,自分がその通りにして幸せであると確認できなかった理想が幸せであると決めつけていること*1

第2に,自分にとっての理想の幸せのかたちが,他者にとっての理想の幸せであると決めつけていること。

第3に,仮に「そのように」生きてみたら幸せを得られるであろう人であっても,父親のような強制的なやり方では,誰もそれを幸せだとは思えないであろうということ*2

父親のようなやり方では,本来それを実行すれば利益をもたらすはずのプランですらも,不幸を感じさせるのだ。ましてや利益をもたらすとは思えないプランは,なおさらである。

 

以上のような指摘をする勇気は自分にはない。

彼は「ちょっと来い」と子供を呼びつけ,来なければ脅し,行けば殴り,「どうなるかわかってるんだろうな」と脅す。

彼は決して子どもたちに怪我はさせなかったが、その理由が子どもたちを"大切"に思っているからなのか、怪我をさせたあとの処置や世話のの面倒さなのか、保身のためなのか、分からない。

怪我はしなかったが、じゅうぶん自分の人生は台無しになったと感じている。

自分が過去に受けた暴力と恫喝の経験は「彼との最善の関わり方は,関わらないことである」との結論を自分の身に染み込ませた。

実家で自分は,自分は足音を立てずに歩くことを身につけ,父親が帰宅する前に食事を済ませ,父親がトイレを済ませしばらくはダイニングにとどまるであろうことを見計らって入浴した。

遠く離れたこの場所からわざわざ彼を説得するために本腰を入れるだろうか。

どうしても彼と関わらなければいけない時は,どんなに自分の信念に反する言説に対しても「わかりました」と頷き,指示に従う。それが次善の策だ。

 

子供の頃は彼を殺したかったが,彼が死ぬと誰が家計を支えるのか。

彼を殺す以外に,何かできるかもしれない。

けれどもし自分が彼のことを周囲の人間に訴え,周囲の人間が彼に何かはたらきかけたとしたら,彼は自分にどんな仕打ちをするだろうか。

自分がどこかに保護されるという手もあった。でも住み慣れた家にそれなりの愛着があって,その家を離れるというのも抵抗があった。

成人して,今では彼と絶縁することもできる。けれど自分にはなぜかそれができない。もし自分が絶縁したら,周囲の人間がどう攻められるのだろうか。

それにもしも自分が彼と絶縁したら,彼は自分の過ちを認めないまま,自分のいないところで自分を非難し続けるのだ。それは悔しい。

そして自分は,自分のために何かするやり方を忘れかけている。

 

 

***

 

教員と話した。

「自分が求めているものは大学では手に入らないのかもしれない」というところでは意見が一致した。

 

教員との会話はいわゆる哲学的なものに発展したけれど,「君は今話したようなことに興味がないんだね」と断定された。

でも実際には自分はそういったことをずっと考えている。

けれど必要な時に自分の考えていることを伝えることのできない,あるいは自分がそういったことについて考えているのだと表現することのできないことに,悔しさがあった。

 

 

*1:ただある種の幸せというのは,実際に経験したもののない理想へ向かう過程にあるのかもしれないけれど。

*2:同じアイデアであっても,自力で獲得したほうがより価値あるものに思えたり,長期的に保持できたりすることがある。