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WORDS

-それ以外に抽象しようのない-

5/8-5/14

 みなさんこんばんは.さっきまで「こんばんは」で通用する時刻だったはずなのですが,もうそろそろ「おはよう」のほうが相応しい時間帯になりつつある.熱中するわけでもなく,退屈するわけでもなく,最近時間がでろんと流れていくようになった.

 平均気温が高くなってきたせいか,体温が保たれるようになって,少し体調がいい.

「溜め込んで味わう」のは自分の元来のやり方で,仮に成し遂げたことは同じだとしても,我慢の分だけ報酬も大きくなる.というわけで今週1週間分*1をまとめて振り返る.毎日コツコツ?

 月曜日のとある授業の課題として亀田達也『モラルの起源』(岩波新書)を読んでいた.読んだら要約せねばならない.けれど元来*2自分はインプットとアウトプットを同時にするのが苦手なようで,うまく読めている間は書けない.書こうとすると,読めていたことが分からなくなる.本のことを視界から外して,宙で書こうとすると納得いくものが書けたりするのだが,ここで納得とは自分なりに整合性を取るということであって,ゆえに本の内容そのものにはなっていなかったりする.

 元来inとoutの並行が苦手であったのみならず,加えて最近は文章を読むことがなぜかできていなかった(というよりも作業一般への集中が困難であった)のだが,少しずつ回復しつつあるようだ.けれども,文章を読むのが苦手であったのは,どうやら論理性等を追求していた代償らしいと思っており,文章に熱中できたならば逆に論理性等に劣る気もする.

 火曜日のとある授業は心の哲学にかんする書籍を扱っていて,今回は自分が,無意識にかんする章を発表する担当回であった.いわゆる無意識下にあるものが意識に上るという,無意識と意識との接続に,不思議をおぼえる.

 駒場公園内の「BUNDAN」を気に入っている.

 別の授業で知ったのは,「ベクション」という言葉*3だったのだが,これは専門の用語で「視覚誘導性自己運動感覚」*4という.例えば自分の乗った新幹線がホームで停車しているとき,発車したのは隣の新幹線なのに,自分のほうが発車したのだと錯覚することがある.どうやら「自分は運動している」という認識に寄与しているのは,視覚のみではないらしい.一方で力学的に定義される運動,つまり座標系における位置の時間変化は,いわば視覚的である.地面に対して運動しているのは自分の新幹線ではなく隣の新幹線であっても,自分の新幹線のほうに固定した座標系に対しては,隣の新幹線は運動している.ただし,どうも自然な「運動している」という認識には,地表が基準として果たす役割がどうも大きいようなのだけれど.この「ベクション」は,「(理想的な環境下で)等速直線運動する物体は,自分が運動していることを認識できないであろう」などの,どこぞの科学者による(とされる)思考実験に着想を与えたという事実があったかどうかは分からないけれども,力学を教育するにあたっての材料にはなるのではないかと思う.

 ところで「ベクション」というラベルを知る前は「自分の乗った新幹線がホームで停車しているとき,発車したのは隣の新幹線なのに,自分のほうが発車したのだと錯覚することがある」という文章的な説明をしていた.けれどもベクションという現象において人間の得る感覚は瞬間的であるから,現象に対応させる言葉も,同じくらい短いほうが伝わりやすいと思う.その点,そういう短い単語が既存であり,すでに共同体内で使用されているというのは,便利であると思う.また,体験と名前とを密接に対応づけておくと,体験のほうを忘れてしまったり,体験が現前していないのでどういうものであったか語るのが困難であったとしても,名前が記憶のなかから体験を呼び起こしてくれる.名前は,それと対応づけられた物事にかんする検索性を高める.そういう名前の効果,言語のご利益があるのではないだろうか?

 水曜日には倫理の授業があった.ここで遭遇した困難が2つあった.1つ目はKuhnの言葉を用いれば通約不可能性みたいなもので,2つ目は議論のこと.1つ目についてはここでは語らない.2つ目に関して言うと,議論においては議題が設定されるのに,議論の参加者が議題について語ろうとはせずに,自分の思いついたことについて述べ自己アピールをしているだけで,司会者たる教師も議論をコントロールしない,という状況に苛立っていた.

 必修のとある授業から遠ざかってしまって,困っている.

 木曜日には,上野→神保町→飯田橋秋葉原と歩いた.少しは今の所属に溶け込もうと,作業のバイトに応募した.クラフトビールを飲んでいた.

 金曜日には夕食を作ったり,テレビを観るなどした(と書くと普通だがあえて書くような印象的な体験であったということだ).

 土曜日.知人の髪を切った.

 内井惣七『空間の謎・時間の謎』(中公新書)を読んでいる.ざっと読んだ後細かく詰めよう.本を読むことへの心理的抵抗が低まりつつあるのは悪くないと思う.

 アウグスティヌスは「時間という言葉を使っている間は時間とは何か知っているが,時間とは何かと問われると時間とは何か分からなくなる」という趣旨の発言*5を残したというが,多くの言葉に該当することであると思った.

 記憶.後からある時間帯を振り返ってみると経験していないことだと判断できる(記憶によって?整合性によって?)のに,その時間帯にはあたかもそれを経験しているかのように自覚していることがある.振り返ってみて「それをやったと思っていたけれど,やっていないぞ?やっていないのに,どうしてやったつもりの記憶があるんだ?」

 

*1:自分の1週間は月曜日から始まる

*2:この元来という言葉はまだ自分にとって曖昧で,だから使っている.先天とか,後天とかを使い始めると,厳密に区分する作業に疲れてしまうから,曖昧な言葉を使うに留めておくのだ.

*3:英語ではvectionと書く.vectorとは関係があるのだろうか.vectorの由来はラテン語で,意味は「運ぶもの」らしい.vectorは運動に関係があるし,vectionも同じであるから,関連性はあるのかも知れない.

*4:視覚誘導性自己運動感覚 - Wikipedia

*5:『空間の謎・時間の謎』の内容ではない.