映画『ミュンヘン』

 スピルバーグの『ミュンヘン』(2005)を久しぶりに観た。セックスもあれば、吹き飛ぶ顔や頭もある。人が直視したくないようなものを見せる。映画館では簡単に目の前のものからは逃れられない。後半は特にメランコリックかも知れない。この映画の(世間的な)スピルバーグっぽさといえば,エンドロールで,音楽を担当しているのがジョン・ウィリアムズであるとわかることぐらいかもしれない。

 スピルバーグと言えば『ジョーズ』『インディ・ジョーンズ』『E.T.』『ジュラシック・パーク』と、「娯楽」「子供向け」というイメージが先行するかも知れないが、『ミュンヘン』だけでなく『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』のように、悲惨、凄惨な画面、物語も作っている。

 

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 一般的な娯楽作品の、大きな構成はこうだ。主人公には困難が与えられ、最後には救いや希望がある。そういう展開を楽しむ人は多く、スピルバーグは人を楽しませるのが得意だ。人を楽しませる方法をうまくコントロールできる。だからそのぶん、人に興奮も希望を与えない作品も作れる。

 娯楽作品の前半にある主人公の困難を、できるだけ悲惨で絶望的なものにし、あとはそれを延長して全編を覆えばいい。凄惨な場面もあるシンドラーやライアンにも、若干の希望や爽快感は残される。しかし『ミュンヘン』には、それすらもない。

 

 

 1つ彼らしさが見て取れることがあるとすれば,「家族」だ。スピルバーグは主人公にも,協力者にも,主人公のターゲットにも,家族を持たせ,描きこむ。特に情報提供者であるルイのファミリーは幸せそうな光を以って描かれる。もしかしたら幸福な家庭像は,少年期の彼が欲しくとも得られなかったものの再現なのかも知れない。