『マン・オブ・スティール』

2013年劇場公開以来の鑑賞となりました。

当時は「大したことがないな」と思っていたのですが、見直してみると味わい深かったので、拙いですが分析してみようと思います。

 

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【基本情報など】

監督はザック・スナイダー

この人はPlayStationなどのテレビゲームのように「人工的」な映像作りが好きです。派手なアクションシーンも彼の好みでしょうか。

過去の監督作としては『300』『エンジェル・ウォーズ』『ウォッチメン』が有名です。『ウォッチメン』も『マン・オブ・スティール』同様、DCのヒーローコミックの映画化ですね。

 

製作に名を連ねたのは『ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』『ダンケルク』のクリストファー・ノーラン

ノーランが『マン・オブ・スティール』の製作に関わった経緯の詳細はわかりませんが、ノーランには『ダークナイト』の前作『バットマン・ビギンズ』で、ヒーローのオリジンを描いた経験があります。この『バットマン・ビギンズ』で描かれるのは、「経済格差の拡大」「犯罪率の上昇」という社会背景の設定と「富裕層の御曹司」「強盗に両親を殺された過去」という主人公の過去の設定とが合わさることによって、彼がバットマンというアイデンティティを発見する過程です。

『マン・オブ・スティール』でも惑星クリプトンの社会や、クリプトン・地球の両惑星におけるスーパーマンと両親との関係や彼の育った過程を詳細に設定することによって、スーパーマンがスーパーマンたる所以に説得力を持たせようとしています。『バットマン・ビギンズ』のブルース同様、主人公のクラークは世界を放浪する旅に出ています。『〜ビギンズ』当時ブルースは29-30歳、『マン・オブ・スティール』のクラークは33歳と時ヒーローとしては遅咲きではありますが、自己実現の方法を探る若者のモラトリアムの旅のようにも感じられます。

 

『マン・オブ・スティール』の公開は2013年ですが、翌年に公開されたノーランの監督作が『インターステラー』です。この映画の中で人類は、生存不可能となりつつある地球を捨て、ハビタブルな惑星を探す星間旅行へと出発します。

『マン・オブ・スティール』では同様に、惑星クリプトンが生息不可能な星となったため、スーパーマンの両親は彼を地球へと送り出すのです。それも単に彼1人だけ送るのではなく、クリプトニアンのDNAが書き込まれた「コデックス」という情報端末を持って。

インターステラー』でも同様に、ハビタブルな惑星を発見したらそこで繁殖をするため、冷凍保存された受精卵を携え、宇宙船エンデュアランス号のメンバーがワームホールをくぐります。

『マン・オブ・スティール』において反映されたノーランのアイデアが具体的にどこであるかはわからないのですが、『バットマン・ビギンズ』や『インターステラー』との類似点が、このようにいくつか見つかるのです。

 

次作『バットマン vs スーパーマン』にもノーランは製作総指揮として関わっているのですが、オープニングシーケンスを見るとどうも監督のスナイダーの意向が前作より強く反映されているのだと感じられます。

バットマンvsスーパーマン』でもバットマンの過去のトラウマや動機を設定してやることで現在の行動の動機や目的を設定しようとしているのは見て取れるのですが、どうも取ってつけた感があります。

 

音楽は、ノーランと数多くのタッグを組むハンス・ジマー

厳密に当てはまるわけではないのですが、スーパーマンが活躍すればスーパーマンのテーマが流れ、ゾッド将軍が登場すればゾッド将軍のテーマが流れるという曲の作り方はワーグナの「ライトモティーフ」的です。

激しい肉弾戦を思わせる力強いパーカッションが特徴で、メロディはかつての『スーパーマン』シリーズのテーマを彷彿とさせ「いかにもスーパーマンのテーマだな」と感じます。

 

私個人の『マン・オブ・スティール』の中でのお気に入りは映像で、特にクラークの過去の回想場面では「自分でこんな画像が撮れたらなあ」と思うくらいです。

他にはレンズフレアの多用、ズームアップの多用も特徴でしょうか。 

 

〈 3.22(2018)追記 〉

現在と過去を行ったり来たりしながら物語が進行する脚本も、ノーラン的です。

現在の物語の合間に過去の回想が挿入される形式は、小説にも映画にもあります。

ノーランの脚本の場合、過去の回想が挿入される目的は決まっており、それは現在における主人公のありさま、行動の原理、生活スタイル、慣習といったものが過去に由来しているということを示すためです。

現在における不思議や謎、説明不足が、過去の回想を挿入することによって説明されていくのです。

 

【解説】

スーパーマンことクラーク・ケントの出身は地球ではなくクリプトンという高度な科学文明を有する惑星。つまりスーパーマンは地球人にとってエイリアンなわけです。母星クリプトンでの名前は、クラーク・ケントではなくカル=エル。

そんな彼がなぜ地球に来たかというと、資源が枯渇して困ったクリプトン人が惑星の核まで資源を採掘し、惑星の爆発を誘引してしまったため。カル=エルの父である科学者のジョー=エルは、以前から惑星崩壊を予見しており、惑星から脱出しようと主張していました。高度な科学文明を誇るクリプトンは、大昔に宇宙開拓をしていたので、植民の技術を有してはいたわけです。

しかし惑星クリプトンの政治を司る元老院は「惑星から全員が脱出するのは無理だ」として、クリプトン脱出案を却下。全員が脱出できないとなると選別が行われ、誰かがクリプトンとともに死に、誰かは生き残る。そうなると指導者である元老院が恨みを買うことになるわけで、自分の手を汚すことが嫌だったのでしょうか*1(どうせみんな死ぬのに)。

 

集団としての脱出はできないことがわかったので、ジョー=エルは個人的に、自分の息子カル=エルだけでも別の惑星に逃がしてあげようと考えました。

この息子カル=エルは、単なるクリプトン人ではなく、ある特別な子供でした。それは「数百年ぶりに自然出産で誕生した赤ん坊」というもの。実は惑星クリプトンは人口抑制政策を採っており「男女が交尾し、母体が妊娠・出産」という自然出産を禁止していました。全ての子供は人工の羊水・羊膜の中で成長し生まれてきていたのです

それだけではなく、全ての子供は生まれながらに職業を決められており、その職業になるためだけに育てられ、その職業で一生を終えるのです。つまり自分の意思に基づいて自分の人生を選択するということができなかったのです。

ですから自然出産によって生まれたカル=エルは、「自らの意思に基づき、自分の行き方を選択せよ」という願いを背負って生まれてきたわけです。

 

しかしながらそういったクリプトンの社会情勢や父母の願いを知らずに地球で育ったカル=クラークは、由来不明な自分の能力に戸惑います。人間や物体の中身が透視できたり、どんなに小さい音でも大きく聞こえたり、こういった能力がコントロールできずに一度にたくさんの情報が脳に入ってきて混乱するのです。そんな彼の様子を見た小学校や中学校の同級生たちは、彼を避け、除け者にします。ですから彼は自分自身に自信を持たないまま育ってきており、また周囲の人に自分自身のありのままの姿というものを受け入れてもらえないまま育っています。

一度自分の乗ったスクールバスが事故で川に転落した時、彼はバスを水中から持ち上げ、同級生たちを救います。それも自分をバカにしていた男の子も含めて全員です。しかし彼が同級生を救ったにもかかわらず、彼の特異な能力を恐れる保護者も現れます。

クラークの育ての父ジョナサン・ケントもまた「人々がクラークの真の能力を知ったら恐怖し迫害するだろうから、能力は発揮するな」と教えます。この教えは確かにクラークのためではありますが「もしも教えに従ったなら、自分の本当の能力を発揮すれば救えるはずの命を見殺しにしなければならない」ということに彼は悩みます。

ジョナサンは竜巻*2から逃げ遅れた時ですら、クラークが能力を発揮して自分を助けようとするのを制止し、帰らぬ人となりました。

 

「地球人から迫害されないよう、能力を発揮するな」という父の教え。クラークはこの教えに心から納得できていません。しかし父と徹底的に考えをぶつけ合いたくとも、もう父はいません。そしてその父が亡くなってしまったのは、父の望みとはいえ、クラークが力を発揮しなかったからでもあります。

やがて「自分探しの旅」に出たクラークは、各地で人々を助けて回りますが、助けたらすぐにその場を立ち去り、姿を消す。決して彼が人々から受け入れられ、認められる機会はないのでした。

しかしひょんなことから1万8,000年前に地球に不時着したクリプトン船を発見したクラークは、ジョナサンから預けられていたクリプトン製の鍵を使って船のシステム権限を取得。さらにホログラムとしてジョー=エルの意識が現れ、ついに自分の生い立ちについて知ることになるのです。

その直後にクラークがクリプトンのマントをまとい、初めて空を飛ぶシーンがあります。このシーンは、マントの姿こそがクラークの本当の姿(クリプトン星出身であること)であり、クリプトン人であるがゆえに特異な能力を有していることを象徴しています。そしてその自らの特異な能力を受け入れ、開放していくことへの喜びをクラークが感じている場面でもあるとも思うのです。

 

それでもまだクラークには、地球人から受け入れられないのではないか、という不信感が残っています。その不信感は、過去に自分が受けてきた仕打ちに裏付けされているものです。

そんな時に現れたのが、クリプトン人の生き残りであるゾッド将軍一味。彼らは元老院に対してクーデタを起こした罪で「ファントム・スペース」に幽閉されていたため、クリプトンと運命を共にすることはなかったのです。

ゾッド将軍もまた、ジョー=エル同様にクリプトン人が惑星クリプトンの外で再興することを目指していました。そのためにはクリプトン人のDNAデータが必要です。そしてそのDNAデータは、ジョー=エルの手によってクラークの細胞に注入・保持されていました。そしてゾッド将軍は、クラークを殺してDNAデータを入手したのちは、「ワールド・エンジン」によって地球の環境をクリプトン人だけが適応可能な環境に作り変えようとしていました。そうなると地球人は全滅してしまいます。

このようにゾッド将軍は地球人とクリプトン人との共存を考えず、クリプトン人優位的な考え方をしていますが、クリプトンが滅亡の危機に瀕した際、ジョー=エル同様にクリプトン人脱出を訴えながらも彼は「選別」賛成派でした。つまり優秀な人間だけを生き残らせようとする考え方です。自然出産の禁忌を犯したジョー=エルに対する彼の反応を見ると、ゾッド将軍は生まれながらに決められた職業に生涯を捧げることに賛成でした。なぜなら彼もまたそうやって軍人として生涯を捧げてきたからです!また彼は、過酷な環境に適応できる強いものだけが生き残るというような考え方も持ち合わせていました。このような考え方は、他者を助けるために自己犠牲を厭わないスーパーマンと根本的に相容れないものです。

 

地球人に対して不信感を抱いていたクラークでしたが、愛する母親や、ロイス・レインと出会い彼女を守り、他の人々も守るため、ゾッド将軍と戦っていくうちに地球人を守ろうという決意を固めていきます。彼は地球人を守る、とうことを選択するのです。そんな彼の姿を目の当たりにして、軍人始め地球人も彼のことを受け入れていきます(彼が能力をさらけ出したことには結果が伴うのですが、圧倒的な力に裏打ちされ、彼はその結果を引き受けていくのです)。

 

このように『マン・オブ・スティール』は、ヒーローコミックの映画化でありながら、1人の人間が「本当になりたい自分」をさらけ出すことによって周囲からどう思われるのかという恐怖を克服し、自分の理想の姿と現実の姿を一致させようと努力する過程を一貫して描いた作品でもあります。派手なCGアクションですら、若者の自己実現の一過程に過ぎません。

*1:多分ジョー=エルも、クリプトンを脱出するにしても全住民の非難は無理だとわかっていたのではないでしょうか。しかしその点に関する彼の考えは明示されていませんが、彼は選別を行うことには反対であったようです。

*2:クラーク・ケントの育ったカンザス州は竜巻の多発地域として知られています。カンザス在住の女の子ドロシーが主人公の『オズの魔法使い』でも、彼女の家が竜巻で飛ばされてしまいます。ちなみに次作『バットマンvsスーパーマン』で、デイリー・プラネット紙編集部におけるクラークの上司が、クラークがいなくなった時に「踵を3回鳴らしてカンザスに帰ったか」と吐き捨てるシーンがありますが、この元ネタも『オズの魔法使い』です。